公共施設再生計画に関する経緯(1)

秋津幼稚園の急な廃園(2019年3月末で廃園、2019年4月から香澄幼稚園と統合し、香澄幼稚園の跡地で「新習志野こども園」へ)を行い、更には、秋津小学校の廃校(香澄小学校との統廃合)を計画している習志野市の公共施設再生計画。この計画は2014年3月に策定されて、実行されてきています。

秋津地域ではなく大久保等他地域でも大きな問題をもたらしているこの計画、そもそもどのような経緯で作られてきたのでしょうか。計画の問題を把握するためには、過去の経緯を理解することも大事だと思いまして、過去の行政文書等を読んだ結果、数回に分けて経緯を振り返りたいと思います。

大きな流れとしては、2009年3月の「習志野市公共施設マネジメント白書」、2011年3月の「習志野市公共施設再生計画策定に対する提言書」、2012年5月の「習志野市公共施設再生計画基本方針」、そして2014年3月の「習志野市公共施設再生計画」という流れになっています。

1回目の今回は、2009年3月の「習志野市公共施設マネジメント白書」以前を振り返ってみたいと思います。

習志野市は1954年に市制施行し、1970年にはまちづくりの基本理念として「文教住宅都市憲章」(以下の参考リンクを参照)を制定しています。高度成長期(1954年から1973年と一般的に言われています)において埋立や鉄道・高速道路の整備に伴って人口が増えて、様々な公共施設を建設してきました。この時に、習志野市だけでなく日本全国の自治体も同様ですが、将来の人口動態等を考慮せずに公共施設をどんどん建設し、老朽化に伴う更新とその費用を考慮していませんでした。

また、バブル経済崩壊(1991年から1993年と一般的に言われています)後は、市の財政維持・再建を目的とし、施設の維持更新費を含む各種予算を削ったため、公共施設の老朽化がさらに進みました。これらの経緯は、公共施設再生計画の参考資料1に以下のように記載されています。

「習志野市は、行財政改革に前向きに取り組み、債務残高は減少しましたが、一方では、数値に表れない公共施設の老朽化が進んでしまいました。」

ここまでの経緯で、問題点・反省点は三つあります。

1.国全体の動向(高度経済成長、バブル経済崩壊等)に強い影響を受けて、場当たり的な対応を続けてきたこと(これは習志野市以外の自治体もほぼ同様です)。

2.バブル経済崩壊後の対応においては、街づくりの理念や生活をする市民の視点よりも、行財政改革という手段を目的化してしまい、その結果、公共施設の老朽化を進めてしまったこと。

3.最後に、上記に引用した記載のように、過去の反省をしっかりとしていないこと(「老朽化が進んでしまいました」と他人事のように記載していますが、要は、市長・市議・市役所が場当たり的な対応をした結果、老朽化「させてしまった」ということです!)。反省がないまま場当たり的な対応を続ける市の姿勢は、これ以降も続いていき、今も変わっていないと言えるでしょう。

1回目ということで長くなってしまいましたが、次回は、よりポイントを絞って、2009年3月に策定された「習志野市公共施設マネジメント白書」の中身と問題を紹介します。

(参考)習志野市の文教住宅都市憲章 *以下をクリックしてください。
https://www.city.narashino.lg.jp/joho/keikaku/seisakukeiei/tyouki/kensho.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です